消 え た 毒
〜オリジナル小説〜

著者:雪月彩夏


 がつがつ、がつがつ。
 ぐちゃぐちゃ、ぐちゃぐちゃ――。
 僕の目の前には料理を吸い込んでいく口と、積み上がっていく皿がまるで乱立した都会のビル群のようにそびえ立っている。
 あまり人の多くない休日の学食とは言え、これはいくらなんでも人目をひいてしまう。
 入学シーズンを少し過ぎ新生活にも慣れてきた、五月の初旬。金色の長期連休、いわゆる世間で言われるところのゴールデンウィークに、僕は大学を見学することになった。
 僕の名前は、和村秋。今年で高校二年生。友人にはなんでお前が理系なの、とよく言われる。いいじゃないか、できなくったって、化学が好きでも。
 そして僕の目の前で料理を片っ端から平らげてお皿タワーを建築している女の子は、僕の友人の野上順澄だ。
 今日見学に来たのは僕だけだったはずなのだが、出かける旨を伝えたら勝手についてきたのだ。
「アリス、そんなに暴食すると身体に悪いぞ」
「そんなことないよ、アキ。よく食べないと、人間だって機械と同じでエネルギーがないと動かないんだよ?」
 アリスはテーブルの上に広げられていた皿の中からカレーライスの皿を取り上げてむしゃむしゃと食べ始める。
「いくらエネルギーが必要だって、取りすぎは毒になるよ。それに、ちゃんと食べ合わせも考えないと。食べ合わせが悪いと、身体の中で毒を作ることだってあるんだよ」
 アリスは長くさらさらした黒い髪をばさばさとなびかせながらカレーを平らげると、お皿タワーをまた一段高くした。
 手元の緑茶をくぴ、と一口で飲みほすとその茶碗を僕に渡してくる。
「アキ、食べ合わせで毒っていうけどね。焼き魚と漬け物とか、旅館でよく出るけどね。あれだって毒なんだよ? ま、渋いお茶を飲めば大丈夫なんだけど。そういう風に身体は毒に対してきちんと防御策を持ってるわけ。ってわけで、はい。お茶、おかわり」
 僕が茶碗を受け取ると手元にあった沖縄そばに手をのばし、ずーずーと音を立てながらおいしそうに麺をすすりはじめた。
「ふう。たべたー」
 アリスが最後の一皿を積み上げた瞬間、がらがらとタワーが崩れた。まるで雪崩のように崩落したプラスチックの器が床に散らばったのを見て、僕はぐったりと肩を落とす。
「はあ。ほら、アリスも拾うの手伝えよ」
 僕はしゃがんでひとつひとつ、お盆の上に重ねていく。
「お腹いっぱいで動けないー」
 なんて良いながら、アリスは机の上につっぷして動かない。
 やれやれと思いながら片づけを続けていると、かしゃんと誰かが器を重ねる音が聞こえた。
「あ、杏奈さん」
「大変ね。遅いから迎えに来たんだけど……」
「すみません、アリスがやたらと食べるもので」
「あの子がアリスちゃんね?」
 杏奈さんはアリスを見ると、ふうんと言ってまた片づけに戻った。
 大野杏奈さん。近所に住んでいたお姉さんで、たまに勉強とかを教えてくれていた。大学に行くことに決まって上京して、今は一人暮らしをしながら理学部の大学院生をしている、できるお姉さんだ。
 なんて自己紹介をしているうちに片づけが終わったので、皿タワーやトレイを返す。
「さ、満腹になったところで、行きましょうか」
 杏奈さんがふう、とため息をつく。
 すみません、変な労働をさせてしまって。
「ほら、アリス。いくぞ」
 僕はまだ机にへばりついているアリスの首根っこを引きずって食堂をあとにした。

 杏奈さんの案内で大学内を練りあるいて、でかい図書館の中を見学したあと、図書館一階のカフェテリアで休憩することになった。
「どう? 大学は」
 僕らがテーブルに座って待っていると、杏奈さんがトレイを持ってやってきた。
「想像していたより、広いですね。図書館も、中高と比べものにならないくらいでっかいし……」
 コーヒーを受け取ろうとすると、先にアリスがパフェを横からひったくって、がっつき始めた。でもなんだか、学食の時のように楽しく食べている雰囲気ではない。
「なんだよ、アリス。なにか怒ってるのか?」
「なんでもないっ」
 口元に生クリームをつけながら、怒鳴り散らす。
「怒ってるじゃないか、もう。すみません、なんだか」
「いいのよ、別に」
 と微笑みながら答えてくれるおおらかな杏奈さん。アリスも見習ってくれればいいのに。
 ぶーぶー、と携帯のバイブレーションがなり杏奈さんが鞄から携帯を取りだす。どうやらメールのようだ。
「彼氏さんですか?」
「そういう人がいると、良いんだけどね。教授からよ。せっかく秋くんが来てくれたから、教授と話が出来るように、話しておいたのよ。そろそろ良いみたいだから、アリスちゃんがパフェを食べ終わった……」
 ふがふが言いながら、アリスはパフェを口に流し込んでいる。
「……みたいだから、行きましょうか?」
 僕はアリスの口の周りについたクリームを布巾で拭ってやる。杏奈さんは少し苦笑いしていた。

 研究棟は大学の敷地の、端の方にあった。他の授業をする教室のある棟よりなんだか少し、違う印象。理学部で研究をしているからか、なんとなく薬品っぽいにおいもする。
「こっちよ」
 杏奈さんに案内されるままに廊下を進んでいく。やっぱり始めてきた建物は、なんとなく迷路のように感じる。
 『日比谷総一郎
 教授』とプレートに書かれた部屋の扉をコンコン、と数度ノックする。
 部屋の中から、どうぞ、という低い声が聞こえてくる。
 杏奈さんが失礼します、と言って扉を開けるとやたらと中にはでっぷりと太ったガマガエルみたいな男性が煙草を吸っていた。
「こんにちはー」
 おそるおそる部屋に入ると、教授らしきその男性が笑顔で僕らを迎えてくれた。
「やあ、野上順澄くんと、和村秋くんだね。どうぞどうぞ」
 教授の柔らかい笑顔を見て僕は、少し緊張が和らいだ。
「私が日比谷です。さ、座って。大野くん、お茶を入れてきてもらえるかな」
「はい。それじゃ、秋くん。またあとでね」
 杏奈さんはそう言って、部屋をでていった。
 僕は言われるがままに、小さい机を挟むように置かれたソファーに腰をかけた。アリスはぼーっと部屋を眺めている。
「……これ、先生が教授になられたときの研究ですよね」
 アリスが壁に掛けられていた研究成果のポスターのようなものを見て言った。
「ええ、その研究のおかげで今の私があるってわけですよ」
 そのポスターを見ても、僕にはなんのことかよくわからない。
「よくわかってないアキにもわかりやすく言うと、これでDVDなんかの記憶容量を大きくすることができるんだよ」
「よくご存じで。……おっと」
 日比谷教授はアリスの背後に置いてあった時計を見て、胸のポケットから白いケースを取り出すと中から錠剤を何錠か出し、水を使わないで飲む。
「いやぁ、心臓が悪くてね。ちゃんと定期的に飲まないと、ね」
 と教授は笑いながら話す。
「煙草なんかもホントは駄目なんだけど。もうずっと吸ってるからこれがないと、逆にストレスになっちゃんだよ」
 皮肉げに教授が笑った。
「失礼します」
 杏奈さんがお茶を持って戻ってくる。お茶ののったお盆を小さい机の上に置く。
 てくてくとアリスが歩いてきて、教授側にあった湯飲みをすっと取る。
「アキ、見てみて。茶柱」
 アリスは子供みたいに僕に見せてくる。場をわきまえないのはいつものことだが。今日は何だが少し変だぞ、アリス。
「ははは。さあ、どうぞどうぞ。大野くんはお茶を入れるのが上手いから、きっとおいしいよ」
 そう言われて、手前に置かれていた湯飲みをお盆から取り、一口くちをつける。ちょっと、なんだか少し濃すぎる気がする。
 教授もずずずっと下品な音を立ててお茶を飲んだあと、ちょっと顔をしかめる。
「おい、大野くん。今日のはちょっと濃くないかい?」
「そうですか?」
 杏奈さんは教授の湯飲みを受け取り、一口飲むと同じように顔をしかめて、
「すみません、お茶っ葉いれすぎたみたいです。入れ直してきます」
「ああ、良いですよ、別に。濃い方が、好きですから」
 僕はそう言ってフォローしておく。濃いけど、茶葉がいいのか、おいしいことに代わりはないし。
「そうかい? それじゃ、一息ついたところで。何か聞きたいことはあるかい?」
「えっと……大学に入る前にやっておいた方がいいこととかって、ありますか?」
「そうだねー……」
 そう言った、その時だった。
 日比谷教授が突然、胸をつかんで苦しみ始め机にばたんと倒れると、そのまま動かなくなった。
「教授!?」
「早く、早く病院に連絡を!」
 アリスが教授の首元に手を当て、そのあと首を振った。
「もう手遅れだ。それと、警察にも連絡して、アキ」
「警察?」
「うん。これは殺しの可能性がある」

 警察が到着して、捜査が始まった。遺体は回収され検死にまわされ、指紋の採取やこぼれたお茶の検査などの捜査に部屋が慌ただしくなっている。
「えー、少しお話を聞きしたいと思うのですが」
 僕らに話しかけてきたのは、等々力警部。僕らがなにかに巻き込まれるたびにいつもお世話になる殺人課の刑事さんだ。
「アキさん、アリスさん。被害者が亡くなられたときの状況を教えてください」
 アリスがかくかくしかじか、と事細かに説明する。杏奈さんはずっと黙って、なにを考えているのかつらそうな表情を浮かべている。
「なるほど」
「状況から見ると、たぶん、心臓発作だと思うんだけど」
 警部は警察手帳にメモをすると、杏奈さんの方に向き直って、
「えー、おつらいでしょうが二、三質問させて頂きます」
 杏奈さんはしっかりと警部をみて、はい、とはっきりと短く答える。
「あのお茶はあなたがお入れになったということですが。なにか変わったことはありませんでしたか。よければその時の状況を詳しくお話ください」
 僕はいつも、この質問はいやらしいと思う。なにか解ったことはないか、というのは婉曲的になにかしなかったか、と聞いているということなんだから。
「いえ、特に変なことは……給湯室のやかんでお湯を沸かして、急須にそこにあったお茶っ葉をいれてお湯を入れて、それで先生専用の湯飲みと来客用の湯飲みを軽くゆすいでそれにお茶を入れて、お盆にのせて、この部屋に運びました」
 杏奈さんはしっかり思い出すよう、時々止まりながら一つひとつ状況を答えていく。
「給湯室にはずっと一人で?」
「……はい、一人でした」
 杏奈さんは疑われても仕方ないけれど、少し疑われていることを嫌に思っているんだろうな。
「警部、杏奈さんがお茶に毒を盛るのは不可能だよ」
 アリスが杏奈さんの疑いに、フォローを入れるように口を挟む。
「私たちはお茶をランダムに取ったし。一つ茶柱が立ってるのがあったけど、それは私が取ったから目印っていうのもないね。それに偶然教授が取った湯飲みに毒が仕込んであっても、教授の飲んだお茶は杏奈さんも口をつけたから、安全はそこで証明されているんだよ」
 警部が考えていたことを一気に否定されて、警部は黙り込んでしまった。アリスはいつもこんな調子だけど、なんか今日はいつも以上に容赦がない気がする。
「でもそれだったら、殺人じゃなくてただの病気の発作なんじゃないのか? 心臓を悪くしてた人が心臓発作で死んだ。普通じゃないか」
 そう思っていても警察を呼んだ理由は、アリスが殺しだといってそうじゃなかったことが、今までになかったからだ。
「確かに、それだけなら不思議じゃないけど。考えてもみてよ、アキ。日比谷教授は私たちに会ったあとすぐに心臓の薬を飲んでいたんだよ? それでも発作を起こすようなら、薬の意味がないと思わない?」
 なるほど。薬を飲んだのに死んだ。だから、誰かが作為的に心臓発作を起こさせたんじゃないか、と疑った訳か。
「警部、検死の結果がでました」
 そう言って青い服を着た鑑識の人が報告書を持ってやってきた。その報告書をアリスが引ったくって、黙って眺めはじめる。
 困ったように鑑識さんが警部を見ると、警部は目で良いんだよ、という合図をして説明を促した。
「えー、死因と思われる毒物が胃の中から検出されました。また特に大きな外傷が見られないため、おそらく毒は口から入ったのだと思われます」
「てことは、アリス。教授が他に口に入れたものって、心臓の薬だけだろ? 薬が毒とすり替えられていたってことか?」
「うん、その可能性もあるけど……」
「いえ」
 すかさず杏奈さんが反論する。
「先生はいつも薬を胸の内ポケットに入れて、肌身離さず持っていたわ。だから、誰かがこっそりすり替えるなんて無理だと思う」
「薬を飲む時間は、決まっていたんですか?」
 警部がペンの先をぺろっと舐めて、また警察手帳を広げてメモを取る体勢になる。
「はい。いつも朝の十時と午後の二時に飲んでいました。私たちが教授の部屋に行ったのが大体その頃だったので、今日も同じ時間に飲んでいたと思います」
 アリスは手に持っていた報告書を警部に渡すと、腕を組んでうーん、と悩みはじめた。
「お茶でも薬でもないんだったら、もっと前に口にした何かか……やっぱりただの心臓発作なんじゃないのか」
 警部も僕の出した結論と同じ考えなのか、部下の刑事さんに教授の行動を追わせているらしい。警部の近くに立っていただけなのだが、声が大きくて内緒話が全部聞こえてくるのだ。
 僕や警部の考えに、アリスはどうしても納得がいかないようでずっと、うんうん唸ったまま立っている。
「あの……警部。お茶の成分も一応報告書が上がってきたので」
 さっきの鑑識さんがまた報告書を持ってくる。警部がアリスを信用していないわけではなく、一応調べなければいけないのが警察の仕事なんだよ、と前に言っていたのを思い出す。
「お茶から微量ですが、普通入っていないような成分が検出されました。ただ心臓の弱い人に負担をかけるようなものでもないですし、この量だと人体に影響はほとんどないと思って良いと思います」
 鑑識さんは一通り説明すると報告書を警部に渡し、失礼しますといって、また仕事に戻っていった。
 警部が一通り目を通したあとにアリスは報告書を受け取り、穴を探すかのようにじっくりと眺めはじめた。
「やっぱり、普通に心臓発作か、お昼ご飯とかになにか入ってたって考えるのが自然なんじゃないのか? 先生がなにか、アレルギーを持っていたとか、考えられない?」
「むしろ先生は、何でもかんでもいっぱい食べる人で……そのせいで心臓を悪くしたって。だから今はちゃんと栄養とか考えた食事をしてるし、もしアレルギーがあっても口にしてる可能性は低いかな……。お昼は奥さんが作った特製のお弁当を食べてるから」
 僕の質問に杏奈さんが丁寧に答えてくれる。
「アリスも昼みたいに何でもかんでもいっぱい食べてると、教授みたいに身体壊すぞ」
 なにげなくさっきからずっと黙ってるアリスに悪態をついてみる。ところが、アリスはその言葉を聞いてなにかを思いついたのか、報告書の一点をじっと見つめたあと、それを放り出して部屋を飛び出していってしまった。
「なんなんだ、あれ」
 僕は報告書を拾うと、でもやっぱりアリスのことだからなにか重要なことを思いついたんだろう、僕は少し嫌な予感を感じながらもアリスを放っておくことにした。

 それから一時間ほどして、新しい発見もないので警察としてはこれは病気による心臓発作と言うことで結論が決まろうとしていたその時、アリスがふらりと戻ってきた。
 鑑識や他の刑事さんが全員撤収して、片づいた部屋を見てアリスは間に合った、という顔をして口を開く。
「事件の真相が、全部わかりました」
 推理を披露するモードに切り替わったとき、アリスは敬語を使う。
 アリスは一度、何かを意図的に見ないようにするように俯いたあと、はっきりと目を見て告げた。
「大野杏奈さん、あなたが日比谷教授に毒を盛った犯人です」
「なに言ってるんだ、アリス。お茶も薬も、他の口から入れたものに関しても毒を盛る方法なんてなかった。それはアリスも認めたじゃないか」
「うん、ちゃんと説明するよ。とりあえず、みんなソファーに座ってください」
 僕らはアリスに言われたとおり、ソファーに座る。僕の隣に杏奈さんが座り、正面に警部が座っている。杏奈さんは犯人扱いされていることに起こるでもなく、自分が犯人として追いつめられていることに焦るでもなく、じっとアリスを見つめている。
「さて――」
 アリスは僕らが座っているソファーの周りをぐるぐると周りながら、話しはじめた。
「さっきアキが言ったとおり、お茶の中に毒は仕込まれおらず、心臓の薬を毒にすり替えることも不可能な状況でした。さらに食事からの毒も、可能性としては限りなくゼロに近いと言えます」
 アリスが立ち止まり、僕らの方を向いて横文字の長ったらしい酸の名前を言う。
「お茶の中から検出された異物です。ただ検出された量やもともとの成分からしても、人間を毒殺するほどの効果は得られません」
 杏奈さんは黙って、アリスのことを目で追っている。
「それじゃ、どうやって毒を盛ったって言うんだよ」
「アキが言った言葉でピンと来たんだよ。ある状況が重なれば、胃の中に直接毒を盛る方法をね」
「僕の言った言葉?」
「食べ合わせだよ。元々人体に有用なものでも、条件によって胃の中で化学反応を起こし毒に変わってしまう。普通の食事だったら対したことはないけれど、薬剤ではまた話が変わってきます」
 アリスの話が進んで行くにつれて、刺さっていたとげのようなものが一本ずつ抜き取られていくように、ちくちくと痛みが増えていく。
「教授の飲んでいた心臓の薬と、お茶の中に混入していた薬品が反応すると、強い毒物に変化します。検死の結果、胃の中から発見された毒物と同じものです」
「で、でも! 杏奈さんがそれを入れたとは限らないじゃないか。もしかしたらちょっとした隙に誰かが入れたのかもしれない」
 いつの間にか、僕はアリスの推理を必死で否定しようとしていた。アリスは残念そうな顔を浮かべ、僕の目を見てはっきりと答えた。
「いや、それはないんだ……。あの時間、給湯室に入った人間は杏奈さん一人しかいないんだ。一人でいたところもはっきりと目撃されているし、時間的に犯行が可能でありそうな全ての人のアリバイを確かめたけれど、全員にアリバイがあったんだよ」
 僕は頭ではわかっていても、それでもどうしても事実を受け止められない。
「でも、外部の犯行って可能性も……!」
「秋くん、いいの。そこまでバレているなら、もう言い逃れはしないわ」
 杏奈さんは僕の言葉を遮るように静かに言葉を紡いだ。
「私がやりました。方法は全て、アリスちゃんの言った通りです」
「杏奈さん……どうして?」
「私の父、麻生啓二は日比谷総一郎と同じく研究者だったの」
 杏奈さんは俯きながら、でも声は落ち着き払っていた。
「父は病気で入院している私の母の治療費を稼ぐために、毎日まいにち研究に勤しんでいた。父のライバルだった日比谷もそれは知っていたはずだったの」
 杏奈さんの声が、だんだんと震えてくる。
「ある日いつも疲れた顔をして帰ってくる父が、すごく嬉しそうな顔で帰ってきて、『杏奈、お母さんはもう大丈夫だ!』って私に言ったの。その時の顔、今でも忘れられない」
 杏奈さんの目に、うっすらと涙が浮かんでくる。その涙は怒りなのか、哀しみなのか――。
「でもその数日後、父は首を吊って死んだの。テレビでは日比谷が新製品の開発に成功、って脚光を浴びていたわ」
「それって……」
「そう。日比谷は父の研究を奪ったのよ。自分の欲のために。それを知ったのは、大野の叔父に引き取られてしばらくしてからだったけど。父のあとを追うように母も病気で他界した。父の手記を見つけて、自殺の真相を知ってからは、ずっと今日の日のことだけを考えて生きてきたわ」
 杏奈さんの目は僕らではなく、どこかもっと遠くの、死んだお父さんやお母さんの姿を見ているようだった。
「杏奈さん、一つだけ聞いてもいいですか」
 アリスが杏奈さんに問いかける。杏奈さんは顔を上げて、アリスの目を見つめ、
「なにかしら」
「どうして……私やアキが来る日を、犯行の日に選んだんでしょうか。それだけ、私には理解ができなかったんです」
 杏奈さんはそうね、と呟いたあと僕に優しく微笑んだ。
「きっと……心のどこかで、日比谷と同じことをした私を裁いて欲しかった、そう思っていたのかもね。まだ復讐に生きていない頃の、秋君との思い出に……」
 悲しいけれど、杏奈さんの微笑みは、今まで見た中で一番優しいものだった気がした。
「アリスちゃん、秋くん。ありがとう。ちゃんと私のしてしまった罪を暴いてくれて」

 警部の運転する帰りの車の中から、僕は道にあふれる光をぼーっと見ていた。
「アキ、元気だしなよ。ほら、肉まん半分あげるからさ」
 普段僕になにかくれるなんて事はアリスは絶対にしない。アリスもアリスなりに、僕のことを心配してくれているんだろうか。
「なあ、アリス」
「ふぁふぃ……なに、アキ」
「お茶の中に入ってた成分を見たときに、トリックとか全部わかってたんだろ? じゃあ一時間ちょっとも、なにやってたんだ?」
 窓の外の光からアリスの顔に視線を移すと、目線があわないように今度はアリスが窓の方を向いてしまった。
「べ、別にっ。そんなこと、どうでもいいじゃん!」
「もしかして、さ。杏奈さんが犯人じゃない証拠を、探してくれてたのか?」
「ち、違うよ! 杏奈さんが犯人だって証拠を、徹底的に探し当ててたんだ……よ」
 地雷を踏んだと思ったのか、アリスの語尾が弱々しかった。
 それだけ聞いたらむっときていたかもしれないけど、僕は許してやることにした。
 だって窓に映っていたアリスの顔が、照れ隠しで赤くなっていたから――。


 おしまい☆



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