モッセの『大衆の国民化』を読み終わった。詳しくは読書ノートの方に譲るが、この本の問題設定は「なぜ人々はナチスに賛同していったのか」であったように思う。
モッセがこの本で「新しい政治」と呼んだ、世間的には独裁制と呼ぶであろう体制。これに人々がなぜ賛同していったのかを、様々な点から検討しようと試みている。
人々はナチスに賛同していったのである。もちろんナチスが果たした経済的成長もその要因なのだが、それだけではない。人々の側にも、ナチスに賛同する理由があった。
「独裁制」というのは都合のいい言葉である。それは、全ての責任を独裁者に負わせている。結果、独裁制から「解放」された人々は、「狡猾な独裁者に騙された哀れな人々」という称号を獲得する。彼らは被害者になれるのだ。
太平洋戦争への評価を見てみるといい。太平洋戦争は「軍部の暴走」である。戦争を記念する資料館に溢れているのは、空襲に逃げまどう人々であり、原爆の写真であり、病院に担ぎ込まれた哀れな被害者たちである。
だが、人々が天皇と軍部に喝采を送り、玉音放送に涙したのもまた事実ではなかったか。
1945年8月15日に、玉音放送を聞いて「解放された」と喜んだ日本人がどれほどいただろう?
それを、一昔前に流行った「マインドコントロール」という言葉で片づけるのは容易だ。そうすることによって、日本人は加害者ではなく被害者になれる。そして、被害者の立場で「戦争は人が死ぬからダメ」としか言えない幼稚な反戦運動が蔓延する。
独裁者が全ての権力を握り、民衆がそれに歓呼の声をあげるという形の「民主主義」。私はかたくなに民主主義の一種であると言い続けているのは、そうすることによって、独裁制でもやはり民衆に責任があるということを言いたいからだ。
独裁者に権力を握らせたのは民衆である。独裁者の権力の基盤は、民衆の賛同である。だから、太平洋戦争で日本人は被害者だっただけではなく、加害者でもあった。
数日前から、急に暑くなった。
暑くなったといっても所詮は北海道、たかが知れている。長袖だと辛いよなあ、というぐらい。夕方になると気温は下がるし。むしろ快適なぐらいだ。
だが、部屋の中はかなり暑くなる。
北海道の建築は熱伝導率が悪い。冬は熱が逃げなくていいのだが、夏も熱がなかなか逃げないのが辛い。日光はガラスを我が物顔に透過して気温を上げるが、上がった気温はなかなか逃げていかないのだ。しかも室内にはパソコンがあるから、なおさら気温が上がる。
そんなわけで私はいつも、必死に窓を開けて風を入れようと努力している。
先日は窓とドアの両方を開けていたところ、蝿が入ってきて、追い出すのにえらく苦労した。その失敗を糧に、今日は窓しか開けずにやり過ごす。
すると、窓の外から異臭が漂ってくる。
……私の嫌いな、カレーの匂いだ。
泣きそうになりながら窓を閉める。暑い。
開ける。カレー臭い。
馬鹿なことを繰り返すうちに、なんだか部屋の中にもカレーの匂いが染みついてきた気がする。最悪。
知らないうちに五輪行きを逃していたらしい。
おかげで今日の昼の最終予選決戦直前がどうとかいう応援番組を見逃してしまった。
どう言い訳するのか見物だったのになあ。
なんて書いていると誤解されそうなので慌てて言い訳しておくが、私は男子バレーが嫌いというわけではない。単に「日本人は日本チームを応援するもの」というマスコミの姿勢がむかつくだけだ。
むしろ、日本には五輪行きを決めて欲しかった。
あのセルビア・モンテネグロの勇姿をもう一度見たかったのに。日本が出場しない以上バレーボール男子の中継はほとんどしないだろう。
是非アテネ行きを決めて欲しかった!(アナウンサー風に)
自主ゼミでモッセの『英霊』を読む。
この『英霊』のテーマの一つに、男らしさ、というのがあるようだ。この本はなぜドイツ人が大戦に喜んで従軍していったのかを読み解いていこうとしているのだが、そのときのキーワードとなったのが「男らしさ」である。
同じ著者の『大衆の国民化』をあわせて読むと、ドイツでどのようなナショナリズムが生まれたのかが明らかになってくる。
ドイツ人が理想としたのは、健康で男らしく、均整の取れた肉体美であった。それは一方ではギリシア彫刻の崇拝と繋がっていた。古代ギリシア人のような、力強い英雄たちを目標としたのである。
それに至るために彼らがもてはやしたものの一つが、体操だった。学校での体育は軍隊の訓練の一環、つまり生徒たちを兵士として使えるような人間にする、という目標を持つと同時に、健康でギリシアの英雄のような力強いドイツ人を作ることを目的としていた。
身体づくりがもてはやされた。ワンダーフォーゲルのサークルが結成されて山に向かい、また体操家協会が結成された。
……これはモッセは語っていないが、オリンピックという場もこの流れと同じ所にあるように思う。ギリシアへの崇拝=肉体美崇拝とナショナリズムが重なり合っているのだ。
こういった力強い男性像は、ドイツで広くもてはやされたが、ドイツ人はその「男らしさ」を発揮する場を持ってはいなかった。それを提供したのが第一次世界大戦だった。ドイツ人は戦場で勇気を発揮し、自らの男らしさを確認するために戦場に行ったのである。
なお、この男性性崇拝に、もう一つの側面があったことも忘れるべきではないだろう。すなわち、男らしい男というものを称揚することは、同時に男らしくない男を「女々しい」と非難し、女性に「女らしい」というイメージを付与しようとしているということだ。戦場に行き、大胆かつ英雄的に戦うのが男である、という主張は、戦場に行った夫をおとなしく銃後で待ち、支援するのが女性である、という主張と隣り合わせなのである。
だから、この男性性崇拝は、この時代に強くなった女性の政治参加要求への拒否反応でもあった。
ただし、ドイツのナショナリズムはこの男女の対立をも乗り越えていく。そこで現れるキーワードが「頽廃(デカダンス)」であった。戦いに参加しない人間と敵は退廃的であり、敗北の結果は全国民の頽廃である。この主張の登場は、女性の戦争への参加を肯定する……しかもそれまでの「白衣の天使」「癒す女性」という参加だけではなく、戦いのために男の代わりに社会の表に出るということも肯定されるのだ。
中国や日本にはない風習だが、ヨーロッパには支配者にあだ名を付ける風習がある。
(中国や日本に見られる「太宗」だとか「○○天皇」といったものは基本的に諡号で、公的に贈られた名前である。中国の王朝の最後の皇帝に「○帝」が多く「○宗」とつけられないのは、誰も贈ってくれないからだ。)
このあだ名は、名前の後に定冠詞を伴った形容詞で添えられる。冠詞のない言語は形容詞のみで書かれる。例えばカール1世大帝はKarl der Grosse(直訳すれば「偉大なるカール」)、といった具合である。
あだ名には、大きく分けて次の三通りの付け方がある。
・身体的特徴を述べるもの。どういうわけか情けないあだ名が多い。
シャルル2世禿頭王(西フランク王840-77、イタリア王・西ローマ皇帝875-77、ロタリンギア王869-70)。カール3世肥満王(アレマニア王876-87、イタリア王880-87、西ローマ皇帝881-87、西フランク王884-87)など。
変わったものとしてはハーラル1世青歯王(デンマーク王940-86)などというのもある。また、ハーラル2世灰衣王(ノルウェー王959-74)のように服装があだ名となったものもある。
・精神的特徴を述べるもの。大抵は褒めている。
ルートヴィヒ1世敬虔王(アクィタニア王?-817、西ローマ皇帝814-40)。ボレスワフ1世勇敢王(ポーランド公992-1025、ポーランド王1025)。フィリップ大胆公(ブルゴーニュ公1363-1404)など。 少数だが、貶したものもある。エーリク4世吝嗇王(デンマーク王1241-50)など。
・事績を述べるもの。
ウィリアム1世征服王(ノルマンディ公ギョーム2世征服公1035-87、イングランド王1066-87)。ヴワディスワフ2世追放公(ポーランド公1138-46)など。
変わったものとして、出身地をあだ名にすることもある。エンドレ3世ヴェネツィア出身王(ハンガリー王1290-1301)、ラースロー4世クマン出身王(ハンガリー王1272-90)など。
アレクサンドル・ネフスキー(ウラジーミル公1252-63)は、「ネヴァ川のアレクサンドル」という意味で、スウェーデン軍をネヴァ河畔の戦いで破ったことに由来する。
このほか、比喩表現が混じっているので分けにくいものがある。例えばルイ14世太陽王(フランス王1643-1715)とかアルプレヒト1世熊伯(ブランデンブルク辺境伯1157-70)、フリードリヒ1世冬王(プファルツ選帝侯1610-23、ボヘミア王1619-20)など。
こういうあだ名、特に変わったあだ名を眺めるのは、系図の楽しみの一つだ。なかでも北欧は変なあだ名が多くて面白い。ハーラル1世青歯王(「青き歯のハーラル」などというとファンタジーっぽくてかっこいい)のほか、オーラフ1世空腹王(デンマーク王1080-86)とかエーリク2世記憶王(デンマーク王1134-37)とか、インゲ1世背曲王(ノルウェー王1217-63)、エーリク6世森無王(デンマーク王1286-1319)、ヴァルデマール4世他日王(デンマーク王1340-75)といったような個性的なあだ名が目白押しだ。
個人的にはカスティリアのイサベラ女王(コロンブスに援助したことで知られる。あまりいわれないがあだ名は「カトリック女王」。)の兄が、子供が出来なかったというので「エンリケ4世童貞王」などと言われたのが大笑いなのだが。「エリザベス・ザ・ヴァージン」はかっこいいのに「エンリケ・エル・インポテンツ」はなんでこんなにかっこわるいんだろう。
ちなみに彼にはフアナという名前の娘がひとりいて、イサベラと王位を争った。イサベラはアラゴンのフェルディナンド2世カトリック王と結婚し、フアナはポルトガルのアフォンソ5世アフリカ人王と結婚して争った。結局敗れてしまうフアナのあだ名は「ラ・ベルトラネーハ」。「ベルトランの娘」という意味で、ベルトランというのはフアナの母親の浮気相手という噂のあった騎士の名前で、要するに「おめーほんとは童貞王の娘じゃねーだろ」ということを暗示している。ただし、件のベルトランはイサベラに味方してフアナ軍と戦ったらしい。
こんなふうに愉快なあだ名ばかり追いかけていたものだから、昨日ふと思うまで、「大帝」「大王」がどのぐらいいるのかは気にしたことがなかった。ヨーロッパ史には「大帝」と呼ばれた人物が(数え忘れがなければ)7人いた。世界史を習えば全員知っていることと思う。すなわち、
・ローマのコンスタンティヌス大帝。
・ローマのテオドシウス大帝。
・東ローマのユスティニアヌス大帝。
・西ローマのカール大帝。
・神聖ローマのオットー大帝。
・オスマン朝のスレイマン大帝。
・ロシアのピョートル大帝。
だが、「大王」は13人と意外と多く、半分以上聞いたことがないようなマイナーな「大王」である。
・マケドニアのアレクサンドロス大王。
・イングランドのアルフレッド大王。
・イングランドとデンマークのカヌート大王。
・プロイセンのフリードリヒ大王。
この4人は世界史を習えば聞いたことがあるはずだ。だが、次の9人は、事績も紹介しないと行けないような大王たちである。
・ナバーラのサンチョ大王。992年頃生まれ。1000年に王位につき、カスティリアから王妃を迎えてカスティリア伯領を実質的に支配し、次男フェルナンドをレオンの王女と結婚させるとともに、自らの娘をレオンの王妃に送り込んで、レオン王国も保護下においた。またカタルーニャや南フランスにも影響力を及ぼし、ソブラルベとリコバルサを併合、バルセローナ伯を従属させた。結婚政策によってピレネーの両側のキリスト教国に大きな影響力を及ぼした。
・レオンとカスティリアのフェルナンド大王。1016年ナバーラ王サンチョ大王の次男として生まれ、1029年母方の祖父からカスティリア伯の位を継承する。さらに妻の実家のレオン王国と争い、義理の兄のベルムード3世を破って1038年にレオン王位を獲得した。それと同時にカスティリアを伯爵領から王国へと格上げした。彼以降基本的にレオン王位とカスティリア王位はひとりの人間が兼ねたため、スペインの核となったレオン=カスティリア王国を実質的に作り上げた人物であると言えるだろう。
・デンマークのヴァルデマール大王。在位1157-82。カヌート大王の死後分裂し混乱していたデンマークを再統合した人物で、実質的に現在のデンマーク王国の建国者。
・ボヘミアのプシェミスル・オタカル大王。在位1253-78。神聖ローマ帝国の大空位時代に乗じ、ボヘミアからオーストリアにかけて大きな領土を形成する。皇帝位も狙ったが、あまりに強い権力を持つ皇帝を嫌う選帝侯たちはスイスの小領主ルドルフ・フォン・ハプスブルクを皇帝に選んだ。これを不服としたプシェミスル・オタカル大王は、領土拡大が帝国法に抵触すると責められたこともあって、皇帝ルドルフと争い、戦死。オーストリアはルドルフが継承し、これがハプスブルク家によるオーストリア支配の始まりとなった。
・アラゴンとシチリアのペドロ大王。1240年生まれ。1276年父のハイメ1世からアラゴンを相続するが、マヨルカは弟のハイメ2世に相続された。1282年にフランス王の弟シャルル・ダンジューが支配するシチリアで反フランス暴動が発生すると、これに乗じてシチリア島を征服し、教皇による破門を無視して実効支配した。
・ポーランドのカジミェシ大王。在位1333-70。シロンスク(シュレジエン)の7つの公家、マゾフシェの3つの公家、ヴィエルコポルスカ公家、マウォポルスカ公家と分裂したポーランドを、ヴィエルコポルスカとマウォポルスカの断絶に乗じて統合した。ただし、マゾフシェの諸侯を従えることには成功したが、シロンスクの諸侯はボヘミア王に従い、ポーランドから離脱していった。
・ハンガリーのラヨシュ大王。在位1342-82。ポーランド王としてはルドヴィク大王、在位1370-82。台頭しつつあったハプスブルクに対抗し、ハンガリー、ポーランド、ボヘミア間に同盟を締結させた。また、親族のシチリア王家が100年前にペドロ大王にシチリアを追われて以来ずっとシチリアに帰ることが出来なかったのを、援助して何度もイタリアに遠征している。ポーランドのカジミェシ大王が死去すると、後継者がなかったため、ラヨシュがポーランド王位をも継承した。しかし彼自身男子がなく、死後は長女のマリアが神聖ローマ皇帝ジギスムンドと結婚してハンガリー王位を継承、次女のヤドヴィガがリトアニア大公ヤゲロと結婚してポーランド王位を継承した。
以上7人は、まあその国の歴史に興味があれば知ってるよなあ、という人物だ。このほか、ウェールズのグイネッズ王国に2人ほど「大王」がいるのだが、その事績はちょっと私にはわからなかった。
・ロードリ大王。在位844-48。
・リュウェリン大王。在位1194-1240。東、南、西の三つに分裂していたグイネッズを統一した。
日本史の授業で、鎌倉幕府の成立の頃を習っている。
この時期は、朝廷では院政の最盛期でもある。院政とは天皇を退いた人物……太上天皇、略して上皇。出家すると法皇……が後見役を名目に政治を見るという体制であるが、子供の頃に習った時から何となく疑問を感じていた。天皇が譲位すればどんどん上皇が増えていく。その上皇たちのうちで院政を布くひとりをどうやって決めているのだろう。
子供の頃の私は、年表を見て、なんとなく「院政をしていた上皇が死去した時に天皇だった人物が院政を布くのかな」と思っていた。鳥羽法皇が死んだ時に天皇だったのは次に院政を布く後白河だし、後白河法皇が死んだときに天皇だったのは次に院政を布く後鳥羽だからだ。だが、白河法皇が死んだときに天皇だったのは崇徳で、次に院政を布くのは鳥羽である。
この疑問を解消させてくれたのは、この授業だった。
院政というのは、「前天皇が現天皇を補佐する」体制ではない。「天皇の父や祖父が天皇を補佐する」体制だったのだ。その点、外祖父になって実権を握る摂関政治と似ていると言えるかも知れない。
だから、当時の天皇たちにとって重要だったのは、天皇になれるかどうかではない。自分の子や孫に皇位が継承されるかどうかだったのだ。たとえ天皇になっても、子や孫に継承されず院政を布けないのであれば意味はない。
1179年、平清盛は兵を率いて上京し、後白河法皇を幽閉。高倉天皇に息子の安徳天皇への譲位を強要し、翌1180年に安徳天皇即位と高倉上皇院政開始が実現する。これで清盛は対立していた後白河を排除するとともに、天皇の外祖父の地位を手に入れた(安徳天皇の母は清盛の娘である)。
1180年の福原遷都を経て、1183年に源義仲が入京し、平家勢力は西へ逃れることになる。このとき、安徳天皇とその弟守貞親王は西へ連れ去られた。後白河法皇は政界に復帰し、三種の神器も無しに守貞親王の同母弟の尊成親王を即位させた。これが後鳥羽天皇である。
後鳥羽天皇の立場は微妙だった。安徳天皇に子供がなければ即位するのは守貞親王のはずだった。だがその守貞親王が平家に連れ去られていたために、彼に公位が転がり込んできたのである。しかも、1185年の壇ノ浦の戦いで安徳天皇は水死したが、守貞親王は都に戻ってきた。
誰だったか、日本史の先生が、天皇権力の強化を求める天皇は皆、継承の経緯に後ろ暗いところがある、というようなことを言われたことがあるが、それは事実かも知れない。後鳥羽にせよ後醍醐にせよ、偶然にも皇位を継承したという面があるのだ。
後鳥羽も、息子の土御門に譲位して院政を開始すると、天皇権の強化をもくろんで幕府と対立するようになる。温厚で弱腰な土御門を廃してその弟の順徳を天皇とすると、さらに順徳天皇に息子の仲恭への譲位を行わせた……これは土御門ではなく順徳が「次の院政」を担うことを意味している。
だが、後鳥羽と順徳の路線は承久の乱という結果に終わった。後鳥羽、順徳、仲恭は流刑となった。土御門は罪なしとされたが、流刑となることを望み、自ら土佐、ついで阿波へと去った。
鎌倉幕府が次期天皇に擁立したのは、守貞親王の息子の茂仁親王であった。茂仁は即位して後堀河天皇となり、守貞親王が天皇の父ということで院政を布いた。……天皇になった経験のない人物が院政を布いたのはこれが唯一の例である。守貞親王はこのため、後高倉上皇と呼ばれる。
ところが、後堀河天皇にはなかなか男子が産まれなかった。そして、やっと生まれた男子を天皇として院政を開始した後堀河は、わずか2年で亡くなってしまう。
その男子の方は、即位して四条天皇となり、父の死後は母の父に当たる九条道家を摂政としたが、わずか12歳で皇居の庭ですっころんで頭を打ち、あっけなく死んでしまった。これで後高倉上皇の血統は途絶えてしまった。
次期天皇を誰にするのかで朝廷と幕府は揉めに揉めた。朝廷は九条道家を中心に、順徳上皇の息子の忠成王を推す声が多かった。忠成王が即位すれば九条家は天皇の外戚の地位を確保できるからだ。九条家はこの時絶頂期で、四条天皇の外祖父であると同時に一族から鎌倉幕府の将軍をも輩出していた。
しかし鎌倉幕府は承久の乱を起こした順徳上皇の血統には難色を示し、結局土御門上皇の子の邦仁王を擁立した。邦仁王は即位して後嵯峨天皇となり、4年間親政を布いた(つまり院政を行う上皇はいなかった)後で、息子の後嵯峨に譲位した。
後深草がその後、後嵯峨に弟の亀山への譲位を迫ったために後嵯峨の血統(持明院統)と亀山の血統(大覚寺統)の争いが起こったのは有名である。だがこれはどちらの血統から天皇を出すかという問題であると同時に、どちらの上皇が院政を布くかという問題でもあった。持明院統の天皇が在位している間は持明院統の上皇が院政を布き、大覚寺統の天皇が在位している間は大覚寺統の上皇が院政を布いた。
このように、院政とは天皇の父、祖父が政治を行う体制であった。
天皇の外祖父が権力を握る摂関政治といい、父、祖父が実権を握る院政といい、あくまで権力の源泉は天皇という建前を保持しながら、その親族が実際の権力を握る体制となっているのが面白い。しかもその権力移譲は親、祖父母へとは向かうが、兄弟へ向かうことがないというのも面白い。
以前にも日記で書いたことがあると思うが、反米ビラの特徴の一つに「アンチ−マスコミ」がある。マスコミは政府やアメリカのいいなりで、事実を隠蔽している。「フリーのジャーナリスト」の伝えることこそ「真実」である、というのがその主張だ。
今日学食で見つけた小さなビラも、「アンチ−マスコミ」色の濃いものだった。今まで見たビラと内容はさほど変わらず、マスコミの伝えない「真実」を、フリーのジャーナリストの言葉から学ぼうというもの。特色があるとすれば、フリーのジャーナリストの言葉を学ぶ勉強会なるものが、ふつうはジャーナリストの講演会という形態をとるところが、雑誌投稿文の輪読会であるというところだろう。金ないのか。
なんだつまらん、と裏返してびっくり。
裏に書いてあったのは、イラクでアメリカ兵が行っている虐待について。かなり過激なことが書いてあるが……読売新聞からの引用である。
正確には、アル・ジャジーラのカメラマンがイギリスのテレビに出演して語った、と読売新聞が報じている。
……マスコミの伝えない「真実」を知ろうと言っておきながら、マスコミを引用するのはおかしくないか。それともアル・ジャジーラや読売新聞はマスコミではないのか。
一つのことに熱中すると他のことが見えなくなるその性格は直した方がいいです。
昨日借りた「モンティパイソンとホーリーグレイル」を見る。これを見るまで知らなかったが、聖杯ってHoly Grailって言うんだなあ。
内容の方は、さすがモンティパイソン、という出来。面白かった。
パラノイアファン必見の「one,two,...five!」のシーンも見られたし(これにちなんでパラノイアは第1版、第2版、第5版と出版された)。
何よりすごかったのは、あの衝撃的なラスト。伏線に「これは何だろう」と思ってはいたが、まさかあの場面でああなるとは。やはり、さすがモンティパイソンである。
セ・リーグは月曜日は試合がない。ので、我が家は平穏である。
チャンネルを回していると、BSで日ハム対ダイエーを中継していた。
別に私は日ハムファンというわけではない。まあ、札幌に移転してきたし、阪神にいた選手もいるので、それなりには頑張って欲しいが。応援するほどではない。
一方、ダイエーには恨みがある。ダイエーのバッターが打つたびに、心の奥底に封印したある記憶がよみがえりそうになる。
王の喜ぶ顔に、また別の記憶の封印が解かれそうになる。
むかむかむかむか。
おまえ日ハム、俺が中継見始めたらとたんに大量失点し始めるのはどういうことじゃボゲェ!
さようなら平穏。
私は、目の前の借りてきたビデオテープを見つめて、ため息をついた。
なんで俺これを借りてきたんだろう。
いや、借りに行ったときは、そういう行為に出るのは正当性があると思っていたのだ。
しかし、熱が冷めて冷静に考えてみれば、どう考えても正当性がない。論理的ではないというか、むしろ支離滅裂だ。
なんであの時、「阪神サヨナラ勝ちしたからビデオ借りに行こう」などと思ったのだろう……
政治的な理由とかあったんだろうというのは容易に想像付くとは言え、わざわざ(仮想)敵国の首都に乗り込んで家族を連れてきてもらって言う言葉があれなのか。
質疑応答になるまではまったく礼の一言もなかったのは、どういうことなのだろう。
そりゃあ、まだ不満はあるだろう。だが、やってもらっているという感覚が欠如してはいないだろうか。
家族会に至っては、想像していた限りで最悪の結果だっただの首相は信用できないだの言いたい放題である。だいたい、その10人がどうなってるかもまったく分からないのに、勝手に生きている、そして日本に帰りたがっていると妄想をたくましくされても、説得力はゼロだ。
異国の地で月や星を眺めて、などと真顔で言われたときには、流石に爆笑した。
なんの進展もなかったとか寝ぼけたことを言っているが、北朝鮮は一度、解決済みとまで言っている。それを再度調査、しかも日朝合同、とまで言わせたのだから、進展がないなどということはないだろう。
日本独自で調査やらせろって……その言葉、イラク戦争前にブッシュがフセインに言ったのと一緒だよね。
ちなみに圧力団体の被害者面は、金本のタイムリーで吹き飛んだ。
今日明日明後日の阪神−巨人3連戦は、3試合とも中継がある。今日はフジ、明日はNHK、明後日はNHK−BSだ。
あれだけ巨人戦の視聴率にこだわっている読売(全国ネットでは私企業のくせに日本テレビとかいったか)が1試合も中継しないのは、奇異だが喜ばしいことだ。
フジ系列が巨人に肩入れする理由はあるまい。
そう思っていたのだが……。
ベンチリポーターと称して巨人ファンのタレント(いや、彼にどんなタレント=才能があるのか皆目見当もつかないが)にしたり顔で解説させる。ウザイ。というか××。
巨人が勝てるかどうかは、終盤に得点できるか、などと力説された時は、思わず半笑いだったが。そうだよなあ、死にものぐるいでとった外国人抑え投手が即戦力にならないことが判明したもんなあ。
しかしその巨人ファンの言ったとおりの展開になり、思わずブチギレ。嬉しそうなタレントの声に、マジ殺意が沸く。
ああそういえばフジのスポーツ中継って、時間の都合と称してW杯でトルコ3位入賞が決まった瞬間に中継やめて延々CMを垂れ流すようなステキ中継だった。
一夜明けてみれば、セキュリティ警告は全く起こらなくなっていた。昨日のあれを知っているだけに、この静寂が逆に気持ち悪い。
ちなみに、ウィルスメールがいつも以上にメールボックスに貯まっていた。そんなことにも疑念が沸く。
なんともなきゃいいけど……
スラ研で研究会なるものがあったので、顔を出させていただいた。後の方の席でぼんやり話を聞いていただけだが。
スラ研ではなんでも「中域圏」という概念を立ち上げ、それについての研究をしようとしているらしい。後に独立行政法人化とかそういうものが絡んでいるようだが、そっちは気付かない方向で。
で、「東欧」という中域圏を考える研究会であった。ここでいう「東欧」とは、ヨーロッパの旧共産圏からロシアを除いた領域のことである。あんまりきちんとどの領域、と線引きするつもりはないらしい。が、バルカン諸国とチェコやポーランドなどのいわゆる東中欧諸国を一緒に扱うのには違和感を感じる。
先生は、中域圏の要素として、自己認識と他者認識と制度(歴史、遺産)の三つが重要だと述べておられた。バルカンと東中欧はどれほどこれらを共有しているだろうか。
まず自己認識。クロアチアやスロヴェニアは、自らがバルカンであると見なされるのを嫌い、東中欧であると主張する。彼らの意識の中では、東中欧とは共産主義のくびきを脱し、ドイツと経済的に結びつきながらEUへと加盟していく、順調に発展している地域である。それに対しバルカンは、共産主義政権崩壊の遺産に悩み、内戦に陥り、うまく発展できずに取り残された地域である。このように、「東欧」の人々がどれほど自分たちを「東欧」の人間と見なしているかは怪しい。そもそも「東欧」の定義が旧共産圏である以上、共産主義の過去からの決別を目指す彼らには受け入れがたい概念ではあるまいか。
次に他者認識。アメリカや西ヨーロッパではどうかはわからないが、日本のメディアでは「東欧」という言い方は根強い。EUの東欧への拡大、などと言われる。従って、他者認識としての「東欧」は存在すると見ていいだろう。
最後に、制度。東欧は旧共産圏、つまりソ連の衛星国家という過去を共有しているというが、それならばユーゴスラヴィアとアルバニアは含まれるべきではないだろう。さらに言えば、カトリックという文化的背景を持つ東中欧に対し、バルカンは東方正教及びイスラムという文化的背景を持っている。
つまり、先生が挙げた「東欧」の共有物は、東中欧では確固としたものに見えるが、バルカンでは曖昧になってくるのである。
私はやはり、東中欧とバルカンは分けて考えるべきだと思うのだが。
今日聞いた報告の内容は、その「中欧」(東中欧とは本来中欧の東部という意味だ)という概念の成立についてだった。
バルカン史においては、「バルカン」という呼称は非常にネガティヴなイメージを伴っている。内戦と反乱の耐えない流血の大地というイメージだ。それを避けるために使われるもうひとつの呼び名が、「南東欧」で、こちらはどちらかといえば無味無臭な呼称である。
だから私は何となく、「東中欧」も無味無臭な呼称だと思っていたのだが、実際には違っていた。
もともと「中欧」という概念が生み出されたのは第一次世界大戦中のドイツであった。ドイツ人たちはドイツ帝国とオーストリア−ハンガリーを束ねて、ヨーロッパの中央部に「中欧」という地域を造りあげようと考えた。その中には、この地域には国民国家という概念は危険だという考えも含まれていたようだが、実質的には中欧諸民族をドイツ人が束ね、指導するというものであったから、当然他の民族からは猛反発を食らった。
大東亜共栄圏のようなものだろうか。
このような概念が、100年たった今、ドイツではなくチェコ、ポーランド、ハンガリーから復活し、言われるようになっているのは面白い。
つまるところ「中欧」は二面性を持った概念である。
すなわち、まず、ドイツ帝国主義の権化としての中欧。スラヴ人はドイツ人に従う存在となる。
そしてもう一つ、多民族共存圏としての中欧。このイメージに大きく寄与しているのはハプスブルクだろう。民族紛争が多発するようになった今日、ハプスブルクは多民族共存の帝国であったという「ハプスブルク神話」が語られるようになっている。このイメージがそのまま、ハプスブルクの領域であった(東)中欧に転化されているのだ。
非イデオロギー的な地域分けも、通史的に通用する地域分けも、実はありえない。
山川世界各国史では、「東欧」を「バルカン」「ドナウ・ヨーロッパ」「ポーランド・ウクライナ・バルト三国」の3つに分類しているが、
・「バルカン」では19世紀から冷戦開始までの約150年に限ってギリシアについても触れている。
・「バルカン」はトランシルヴァニアを含んでいるが、中世のトランシルヴァニア侯国については「ドナウ・ヨーロッパ」に記述がある。
等々、柔軟な対応を見せている(にもかかわらず、見開きの地図で対象地域として色が塗られているのは、現在の国民国家である。つまり、「バルカン」は別に「ギリシア史」が出版される予定なのにギリシアに色を付けていて、「ドナウ・ヨーロッパ」はトランシルヴァニア侯国を扱っているのにトランシルヴァニアに色を付けていない。これはすごく勿体ないことだと思うが)。
だがこれも、無味無臭な分類ではない。実のところ、「バルカン」とは旧オスマン領ヨーロッパであり(なのにオスマン帝国そのものは「西アジア史」で、そのせいでオスマン帝国のバルカン支配についてはどこでも触れられていない)、「ドナウ・ヨーロッパ」とは旧ハプスブルク領ヨーロッパであり、「ポーランド・ウクライナ・バルト三国」は旧ポーランド・リトアニア領ヨーロッパである。つまり中世〜前近代の大国の領域で分割したのだ。おかげで第一次大戦後のこれらの国々の地域協力や、ソ連に対する対応などは霞んでしまった。
実際のところ、地域を区分けし、ある名称を付与する時、本当に無味無臭な地域名称が出来ることなどあり得ない。「東欧」のように、内部・外部の様々な勢力が入り乱れ、伸張した地域では特にそうである。
夜、インターネットを始めたら、ノートンがセキュリティ警告を発する。どこからか攻撃されているらしい。それが1回や2回ならまあよくあることなのだが、数十秒に1回の割合で警告が発せられるという経験は初めて。
さすがに怖かったので早めにやめて寝ることに。
金田一春彦氏、死去。享年91。
日本人で知らない人がいるだろうか、と思うのは、私が言語を趣味にしているからなのだろうか。日本語研究の第一人者で、辞書の編纂などにも関わった大家である。
日本語ほめすぎちゃうん、と半笑いになりながらも、『日本語』(上下巻、岩波新書)で勉強したのが懐かしい。いやそれよりも、生涯で一番最初に買った国語辞典が、金田一春彦とその父の金田一京助の共著であった。私にとって日本語学者といえば、金田一春彦と大野晋なのである。
「その時歴史は動いた」、NHKで「チンギス・カン」などという変な言葉を使うな。「カン」は実は純粋に日本語。「汗」はモンゴル語のハーンという言葉に当てられた漢字で、中国では「ハン」と読む。この漢字が日本に入ってきた時、当時の日本語には「ハ」という音がなかったために「カン」と読み、それが今でも残っているのだ(漢や海も、日本語ではカン、カイだが中国語ではハン、ハイである)。
その一方、「チンギス」はモンゴル語に近い音によるもので、中国語で「成吉思」と当て字し、これを日本語では「ジンギス」と読む。
つまり、「チンギス・ハン」がモンゴル語。「ジンギス・カン」が日本語。「チンギス・カン」「ジンギス・ハン」はおかしいのである。
というか、モンゴル語には本来kという音はない。
親が、ライラックが咲いたかどうか気にしていた。
私はライラックがどういう花なのかわからない。だが、以前親が来たときに嬉しそうに「これがライラック」と言われた覚えがあったので、「ライラックなんてわかんねー」などと言えない。困ったものだ。
だが、今日テレビでライラック開花のニュースをやっていた。これでいつ聞かれても「ライラック咲いたよー」と言えるわけで、一安心である。
というか、百合とまったく違うのに百合(lily)とよく似た名前(lilac)なのが悪いのだ。-acって何かどっかでありそうな接尾辞じゃないか。
だが、実はライラックと百合は無関係。薄紫のことをlilaとかいうところから来ているらしい。結局-cって接尾辞なのか。
さて、テレビで見て確認してみると、大学構内にもライラックが咲いているのが分かる。というか、やはり春ということなのか、色々な花が咲いている。
えらく赤い花が木に咲いているから桜かと思ったら、紅梅だった。……北海道では桜より梅の方が咲くのが遅いのか?
しかし何より咲き誇ってるのは、たんぽぽ。何が楽しいんだというぐらいに咲きまくっている。しかも妙に茎が長くて、なんだか怖い。
少なくとも言えるのは、何でもかんでも一気に咲くせいで、私のような花に関心のない人間さえ「ああ春だなあ」と思えるということだ。
最近暑くて寝苦しいんですが。布団減らすと寒くて腹壊すんですが。誰かタスケテ。
人間というものは、日常当たり前に存在しているものには疑問を感じないものである。
そういうものにも疑問を感じる人間でありたい。
と、大上段に構えてみた。
高等学校、って変じゃないか。
これは私の子供の時からの疑問だ。
「小」学校、「中」学校、そして「大」学。大学はむかし大学校と言ったから、ちょうど「小」「中」「大」+学校、である。
なのに高等学校だけはこれらとちがう。しかも「高等」と来た。高等学校があり得るなら低等学校もあってしかるべきだが、それはない。
いや、考えてみれば、学校は上に進むにつれて内容が高度化するのだから、「低等学校」「中等学校」「高等学校」のほうが事実に即しているのではないか。
でもその一方で、小学校よりも中学校の方が、そして中学校よりも大学の方が規模が大きく、通っても構わない範囲(学区)が広いという事実もある。そう考えると、大学は確かに大きな学校なのかも知れない。
だがどちらにせよ、小→中→高→大、という不均整さはぬぐい去れない。一体どうしてこんなことになったのだろう。
分からなければ調べろという家訓に従って、戦前の学制を探ってみたのだが、今以上にややこしいようだ。
学校の名称と別に、大きく初等教育(6歳〜12歳、義務教育)−中等教育(12歳〜16歳)−高等教育(16歳〜22歳)という流れがある。のだが。
初等教育は「尋常小学校尋常科」と呼ばれ、中等教育は「尋常小学校高等科」「高等女学校」「中等学校」などと呼ばれ、高等教育は「高等学校」「大学予科」などと呼ばれ、これらを就学したあとで大学に進むことが出来る。
中等教育でも「高等」という名前が出てくるし、初等教育は「小学校」だし、やっぱり不均整だ。
ちなみに中等学校がいまの中学校と高等学校にあたり、高等学校や大学予科が大学の教養部にあたる。「高等学校」という名称は、高等教育を担う学校から中等教育を担う学校に変わったようだ。
これで尋常小学校が初等学校ならきれいに揃うのになあ。
やっぱロシアの略号は「ロ」じゃなくて「露」だと思う。
バレーボール女子のアジア予選。アジアの予選なのに世界最終予選も兼ねていて、各地域で出場を決めれなかった国も参加するというよくわからない大会だ。
オリンピック出場は12チーム。既に、そのうち8チームが決まっている。
開催国ギリシア。
昨年に行われたワールドカップの上位3チーム。すなわち、1位中国、2位ブラジル、3位アメリカ。
各大陸予選で1位となったチーム4つ。すなわち、ヨーロッパ1位ドイツ、北中米1位キューバ、南米1位ドミニカ共和国、アフリカ1位ケニア。
で、残っている椅子4つをかけて、アジアの4チーム(日本、韓国、台湾、タイ)と、ロシア、イタリア、ナイジェリア、プエルト・リコが総当たりで争う。アジア予選と世界最終予選を兼ねる理由もよく分からないが、なんでこの4カ国なのかも分からない。日本の五輪ニュースは日本にしか興味がないらしい。もう孫子は引き飽きたので引用しないけど。
でもまあ、いいのだ。
ロシアの試合が見れるのだから。
といっても、ロシアの選手のファンだというわけではない。アルタモノワにベタ惚れというわけではないし、あの無意味な高さに憧れを感じるというわけでもない。いや、バレーは高さが重要だけど、とにかくそういうわけではない。
ロシアという国が好きだから応援したいというわけでもない。ロシアは嫌いではないが、それでロシアのチームを応援したくなるかというとまた別だ。むしろロシアの負けるところを見たい。
私が何を望んでいるのか。
ロシアの女子バレーの監督、ニコライ・ヴァシリェーヴィチ・カルポリが怒り狂う様を見たいのだ。
この監督、名将として名高いらしい。だが何より魅力的なのは、ロシアの選手がまずいプレーをしたときの怒りっぷりだ。コーカソイドだから血色が見えやすいのだろう、顔を真っ赤にし、口をへの時に曲げて、早口のロシア語でまくし立てる。
素敵なオジサマだ。
だが試合はロシアの一方的なペースで、日本は活躍の場などほとんどもらえない体たらくだった。
おかげでカルポリ監督の怒り狂う様もほとんど見れなかった。残念。日本ロシアともに五輪行きを決めたので、五輪中継で見る機会があることを楽しみにしようと思う。
ちなみに、五輪行きを決めたのは日本(最終予選第1代表)、韓国(アジア大陸予選代表)、ロシア(最終予選第2代表)、イタリア(最終予選第3代表)だった。
サークルの新歓コンパに出席する。久しぶりの肉だー、と喜んだら、ラム肉だった。ちくしょう、北海道め。
コンパ参加者、30名超。新入生8人。R研ってこんなサークルだっけ?
しかも新入生に女の子が多いというのも嘘くさい。ひょっとしたら別のサークルの新歓に紛れ込んだんではあるまいな。
一次会で好き放題食べて飲んだ後で、二次会はカラオケに雪崩れる。
ここ最近全然歌っていなかったものだから、カラオケ欲はかなり高まっていた。大声で歌い散らして、たった三曲で喉をつぶす。にもかかわらず、三次会も場所を変えてカラオケ。のど飴を口に放り込みながら歌い散らす。
2時過ぎに解散。なによりも喉がぼろぼろだったが、発散は出来た。
自主ゼミでG.L.モッセの『英霊』を読み始める。
自分で推薦しておいて言うのも何だが、面白い本だと思う。
それ以上に、ここ最近自主ゼミで扱っていなかったナショナリズムを中心に据えた本を読めるというのが嬉しい。
しかもこの本では、国家主導のナショナリズムの典型である英霊崇拝(戦死者の崇拝)に、戦場に赴く「男らしい」人物という価値観、そして終わった戦争にどのような意味づけを与えるのかという共有される「記憶」の問題が絡んでくる。そういう点でも、面白い本だと思う。
著者のモッセは戦間期ドイツに生まれたユダヤ人で、ナチスの政権奪取のために亡命したという経歴の持ち主だ。もう一つ私が推薦した『大衆の国民化』といい、この人の主要な関心は、なぜ人々がナチスに賛成していったのか、というところにあるようだ。
第一次世界大戦は未曾有の大戦争だった。独仏国境には史上最大の虐殺装置が登場し、多くの人が喜んでそこに飛び込んでいって死んだ。
だが、それにもかかわらず、第一次世界大戦後わずか20年で、ドイツ人はナチスに賛成し、第二次世界大戦への道を歩む。ヒトラーに騙されたのだ、と切って捨てるのは簡単だ。だがそうなのだろうか。
近現代の国家は、全て、民衆の賛同を必要とする弱い国家である。独裁国家も例外ではない。いやむしろ、間接選挙の意味合いの弱い独裁国家こそ、民衆の賛同を切に必要としている。映画やラジオで必死に政権の宣伝を行ったのはナチスだった。大規模な集会を開き、民衆の歓呼に応えて、「民衆の賛同を受けている為政者」という像を宣伝するのは、独裁国家の特徴である。
独裁者の権力の源泉は民衆である。だから、独裁者は常に民衆を説得しなければならない。そして民衆は時に戦争に幻想を抱き、戦争に賛成する。それが「防衛」であるという理由が為された時には特にそうだ(反戦を掲げる反米ビラが「イラク人の防衛行為」として自爆テロを肯定したのはその好例だと思う)。
戦争もまた、民衆の賛成がなければ実現しない。太平洋戦争においても第二次世界大戦においても、人々が喜んで兵士となったという事実は忘れられるべきではない。そう思う。
行方不明になっていた彼は、管理会社から鍵を借りた親と、私によって、自宅で発見された。
要するに引きこもってたのである。
理由とかは聞かなかった。まあ、そういうこともあるだろう。
掃除を全くせず、食べ物も食べっぱなしになっていた彼の家は、とても臭かった。
学食でまた反米ビラを発見。
反米ビラの特徴の一つに、反メディアというのがある。彼らの主張を信じるならば、日本の全てのテレビ局と新聞局は日本政府と結託し、イラク問題の詳しい内容を隠蔽しているのだそうだ。
で、参加した人の声に曰く、戦争カメラマンの話を聞いて、メディアが10%しか真実を伝えていないことがわかった、と。
そしてくだくだとそのカメラマンの話の内容を述べている。
……メディアの話を鵜呑みにしていた、と反省しておいて、今度はカメラマンの話を鵜呑みにしているらしい。
進歩のない人間である。
夜になって、友人が1人行方不明だと大騒ぎになる。
先週のおわりに、友人の研究室の先輩で私にとってはサークルの先輩である人から電話があったので、どうやら連絡取れていないということは知っていたのだが、どうやら今週になっても姿を現さないらしい。
私の場合なら数日単位で研究室に現れないというのはザラなのだが、彼の場合は毎日のように研究室に行かないと研究できないようなことを専門にしているので、研究室に現れないと騒ぎになるらしい。
共通の友人と連れ合って、その友人のマンションに行ってみた。チャイムを鳴らしても返事はなかったが、ポストをのぞいてみたら昨日と今日の新聞しかない。つまり、10日には新聞を回収しているのだろう。
あまり心配することもあるまいと思うのだが、明日親御さんが来るらしい。友人連中で明日身体が空いているのは私だけだったようなので、同行することに。
久々に外出。正確には連休中も食事をしに出たり、買い物に行ったりはしていたのではあるが、学校に行ったりヨドバシに行ったりするのは本当に久しぶりである。
ヨドバシに寄ったのは印刷用の紙が無くなったからだったのだが、ついでに寄ってみたら既にクラナドは売り切れていた。さすがはkey。
しかし、思い起こしてみれば、クラナドの売り場が18禁ゲームのところというのはおかしくないか。18禁じゃねーぞ。
昼過ぎ、待ち合わせをしてきょ〜かめ氏と会う。私は3月に旅行に行った際、彼にオーストリア土産としてドイツ語版遊戯王を贈ったのだが、そのお礼に、GWに行った台湾土産を持ってきてくれたのだ。ちなみに中国語版よつばと!。読めないのはお互い様。
火曜5講目は、教職に必要なので履修届を出した、日本史に出なければならない。平安末から鎌倉幕府成立までのあたりを扱う授業で、物語としての源平合戦しか知らない私にとっては、いろいろなものが新鮮で、面白い。これまで2回休んでいるけど。
平清盛の異母弟が頼朝に味方し、鎌倉幕府と朝廷のパイプ役になるなんて、知らなかった。
源平合戦、などというせいで、平家対源氏、というイメージが植え付けられていたのだが、実際にはそう言いきれるものでもないらしい。そういえば源頼朝の挙兵に味方した関東の武士団の多くは、執権北条氏も含めて、平家の傍流に当たるのだった。
明日ゼミがあるので、私の連休は今日で終わりだ。
合計12連休であった。始まった頃には「連休」という観念は全然なかったが、12連休というと小中高校の頃の冬休み、春休みに匹敵する長さだ。
もう修士課程なのだから、大学の授業がない、イコール休み、ではないのだが、それでも「今日で休みが終わり」と感じるのにはわけがある。
クラナドをやり終えたのだ。
詳しい感想はいつか「鍵穴」で語ろうと思うのだが、私はこの2週間の間にクラナドを全て読み切ったことを後悔してはいない。
始めた頃は後ろめたさもあった。自分にこんな事をしている時間はあるのだろうか、と不安にもなった。
だが、古河渚というキャラクターの生き様、強さへの感動は、私に勇気とやる気を与えた。
私は彼女のような強さを秘めたキャラクターに弱い。Kanonの美坂栞に対してもそうだった。好ましいとか恋愛の対象としたいということよりも、このような人間でありたいという憧れを感じる。尊敬と言い換えてもいいかも知れない。
渚が頑張ったように、私も頑張ろう。
だから、連休は今日で終わり、なのである。
18安打16得点……そのうちのいくらかを、昨日にやっていれば良かったのに。
ああ、それから、菅は結局辞任するらしい。
厚生大臣やってた頃は輝いて見えたんだけどなあ。
私がガキだったのか、それともそれが時の流れというやつだったのか。
では、クラナド日記。今日は勝平。
阪神タイガースに、藪恵壹という投手がいる。
今日、中日戦で先発していた。
先発しているのを見て、うわ、と思った。嫌いだからではない。
藪投手が先発した時には、打線が沈黙するという経験則があったからだ。
藪投手は、もうベテランの域に達した投手だ。長い間、阪神タイガースで先発を担ってきた。
一昨年、去年ぐらいから補強や育成に力を入れたために、阪神の選手層は非常に厚くなった。エースを担っているのは井川。その他、昨年は伊良部、下柳、ムーア、久保田といった投手が活躍し、藪はその中で霞んだ存在だった。
だが、数年前。阪神が毎年のように最下位を争っていた時代、阪神のエースを担ったのは、藪だった。
当時の阪神は、打撃力が決定的に不足していた。藪は巧みに相手打線を押さえるのだが、いくら押さえても味方が点を取らないと勝てないのが野球。必死に押さえるうちにどうにも押さえきれなくなり、ついには藪が潰れて負ける、というパターンをよく見た。
私の藪投手のイメージは、実力があるのに勝てない不運な投手、である。
果たして今日も、阪神は全然点を取れない展開だった。藪は中日打線を散発4安打に押さえたが、阪神打線も併殺、凡打を重ねた。
結局藪は7回までで降板。試合は9回裏、金本がサヨナラホームランを打って阪神の勝利に終わった。被安打たったの4なのに、藪は勝利投手になれなかった。今日も藪は不運だった。
だが……これで規定投球回数に達した藪は、防御率1.83でリーグトップに躍り出た。それがせめてもの慰めだ。
久々のクラナド日記。まず、草野球について。
次に、智代シナリオ。
最後に、美佐枝シナリオ。
福田官房長官がやめるまでに至ったこの政治問題。
民主党の菅代表は辞めるつもりはないらしい。政治問題が噴出すると党内から非難が上がって、ああやっぱり一枚岩じゃないなあと思わせるのは、自民党も民主党も同じようだ。
どちらも、責難だけで事を全く成していない。
偉そうに江角マキコが「誰、年金はもうダメって言ったの」とかいうコマーシャルが流れていた頃が懐かしいな。年金がもうダメかどうかは置くとしても、年金を制定し、管理する側はもうずっと前からダメだったらしい。
結局今回も、政治不信をまき散らして終わりのようだ。
友人たちに感銘を与えたので、調子に乗ってこの言葉を紹介してみようと思う。
言葉だけを見れば、漢文の故事成語のようだ。例えば、
子曰、「責難非成事」
とかいって、「せきなんはせいじにあらず」と読み下したり「せめなんずるはことをなすにあらず」と読み下したりしそうだ。
だが、これは漢文の故事成語ではない。
2001年7月に出版された中華風ファンタジーシリーズ「十二国記」の短編集、『華胥の幽夢』のなかの「華胥」という短編に登場する言葉だ。
「十二国記」の世界では、王は基本的に不老不死である。王は麒麟という霊獣が選び、選ばれた時点で不老不死となる。
ただし、そんな王でも死ぬことはある。
例えば、麒麟が死んだ場合。
麒麟は多数の強い妖魔を使役する存在であるから、殺されるということはほとんどない。だが、麒麟は民意に左右される。王が民を虐げ、民が王を憎むと、麒麟は「失道」と呼ばれる病にかかり、ついには死に至る。麒麟が死ぬと、早晩王も死ぬ。
次に、王が首を切られた場合。王が悪逆であれば早晩麒麟が死に、王も死ぬから、基本的には王をいちいち殺害する必要はない。だが、王のいない国は災害と妖魔に襲われ、荒廃する。次の麒麟が育ち、王を選ぶまでの数年間、国は荒れる。麒麟が死ぬ前に王を殺してしまえば、生き延びた麒麟がすぐに次の王を選ぶから、あまり荒れずに済む。
最後に、王が自ら退位した場合。退位した王はこの世を去り、やはり麒麟が残される。
十二国記の南西の国、才では、悪辣な王に民が虐げられていた。国土は荒廃し、麒麟は病にかかった。
それに対し、敢然と立ち上がった若者たちがいた。その首領は砥尚。この荒廃のうえに麒麟が死んで王がいない時期が続けば、才は危うい。そう考えた彼らは反乱を起こし、ついには王を殺した。
麒麟が次期王に選んだのは、誰もが想像したとおり、砥尚だった。
だが砥尚の支配は長くは続かなかった。どうもうまくいかない日々に、反乱に関わって宮廷に迎えられた人々の不安は募っていく。これといった悪いこともないのに、麒麟が病にかかる。
そのあげく(いろいろあったがそこらへんは今と関係ないので省略)、砥尚は自ら退位の道を選んだ。遺言に曰く、「責難は成事に非ず」。
砥尚の失敗は何だったのか。
前王の悪辣さに腹を立てて反乱を起こした砥尚は、前王がやったこと全てを否定し続けた。だが、なにかを否定することは、物事を行うということではない。前王の支配は終わったが、砥尚は前王に支配され続けたのである。
だから砥尚は、「責難は成事に非ず」という遺言を残した。何かを責めたり非難したりするということは、事を成すということではない。
代案を示せない非難に、価値はないのだ。
実のところ、気になって勉強に手がつかないならさっさとやっちまえとすら思っているクラナドなのだが、今日起きてみると妙に目がちかちかすることに気付いた。パソコンを凝視したあげくに涙を流すのだから、目が疲れて当然かも知れない。
そんなわけで、今日はクラナドはしない、とそう決めた。
こどもの日の今日、札幌では桜の開花が発表された。まだ咲いてなかったのかよ。ちなみに一方で沖縄は梅雨入り宣言。日本て無駄に長い。ちなみに暦の上では立夏である。寒い。
藤本が満塁ホームランを打ったらしい。
「らしい」というのは、その直後に親から電話があったからだ。
なぜ中継を見ていないのか怒られたのは、言うまでもない。反省します。
ゴールデンウィークも明日で終わるわけだが、なんというか……寒い。しかも雨も降る。
花見を予定していた札幌の人たち(札幌では、桜の見頃がゴールデンウィーク終わり頃なのである)はさぞやがっかりだろう。
まあ、それは私には直接関係ない。桜を見る趣味はあまりないし。いや、花見が実は桜の下で騒ぐのが目的であることは承知しているが、そっちの方も酒が飲めない私にはあまり関係のないことだ。
問題は、寒い、という方。私の部屋の温度は、冬の間だいたい25度弱に保たれている。だが、ここ最近、暖房をつけないのに換気はこまめにし、しかも気温が低めという悪条件が重なって、室温が妙に低めなのだ。
真冬よりも寒い、というこの環境は、どこか間違っている気がする。しかも炬燵から出てパソコンに向かうものだから、なお悪い。
さて、Clannad日記。今日はまず春原兄妹のシナリオから。
次に、有紀寧シナリオ。
最後に、幸村シナリオ。
昼飯を買いに行って帰ってみると、一枚のはがきがポストに放り込まれていた。
……高校時代の親友からのはがき。
「私達は縁賜り、2004年3月12日に入籍いたしました」
……なにぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!!!
喜ばしいような、悔しいような。ともあれ、おめでとう。
さて、クラナド感想その2。今日は椋と杏の藤林姉妹のシナリオだ。
さて更に、なぜかここでことみシナリオの感想まで。
ここ最近、私は自分でもよく分からないある欲望にとりつかれている。
その欲望には波がある。大したことがないときは本当に無視できる程度のものだが、時には耐え難いほど大きくなって私の身体を突き動かすのだ。
いかに凌ごうとしても……一時的に凌げたように思えても……それは変わらず私を苛むのだ。そう、欲望のままに動いてその欲望を満たさない限りは、永遠に。
もう耐えられなかった。
今日、私は遂に欲望のままに動いてしまった。そのことについては後悔している。
だがこれで、欲望は満たされた。きっと、数ヶ月間はこの欲望に苛まれることはないだろう。そう思うと、ある意味清々しい。
自然と、顔もほころぶ。
私は意気揚々と、絹ごし豆腐を持ってディナーベルを出たのだった。
というか、自分でも何であんなに突発的に豆腐が食いたくなるのか、さっぱりわからんよ……
今年のゴールデンウィークは、昨日さえ休んでしまえば7連休とかで、休みがとりやすいらしい。なんか毎年そういうような話を聞く気はするけど、まあ私にはあまり関係のない話だ。そもそも学校は週に2日しか授業がない。むしろ郵便局や図書館が閉まっている分、やりにくい1週間である。
まあどうせ家にいるからいいんだけど。
といいつつも、今日は札幌駅まで出かけてきた。サークルの同期で、卒業して作家になった人がいて、その人の3作目の発売日だったのだ。出すのが角川ビーンズ文庫というマイナーな文庫なので、発売日に確保しないとなかなか入手できない。通販という手もあるが、やっぱり本屋で買う時のあの興奮には適わない。
ついでに本屋にあった1作目を見てみると、出版7ヶ月で既に第5版。売れているようで、やっぱりわがごとのように嬉しい。
夜、風子シナリオに分岐したところからやり直して、当初の計画通り渚シナリオを読み終わる。以下、感想。